東日本大震災発生直後の記憶と記録

当時撮影したスマホ映像を見返してみた。

東日本大震災からちょうど10年ということで、当時手に入れたばかりのスマホで撮影した映像をあらためて見返してみたところ、様々な記憶が蘇ってきました。当日の午後は毎週金曜の報道デスク会議があり、自分は報道システム担当者としてその日の深夜に予定されていた共同通信社のシステムメンテナンスに伴う音声速報(ラテチャイム)の一時運用停止について周知を行ったところ、出稿部や各番組から「停止時間の短縮」という少々無茶な要望があり、ダメ元で共同通信社に確認する事に。

そしてデスク会が終わり、自席に逃げ帰ったところで追い討ちをかける様に編集長から入電。メディア各局一斉の運用停止につき「停止時間の短縮は難しい」旨の説明を始めたところで電話口の向こうからアラーム音が聴こえてきました。編集長は、「ん? ちょっと待って! いや大丈夫かな? あ、ダメだ! 電話切る!」と言った直後に揺れが発生。すぐに揺れが収まると思いきや揺れは徐々に大きくなり、スマホ撮影を開始しようと画面に目をやったところで建物全体が「船が流される」様に大きくスライドし、「これ以上傾いたら倒壊するよね?」という体感的な範囲を超えてもスライド幅が増加を続けた時の恐怖を覚えています。

自席フロア内の時計が14:50を指す頃に揺れはいったん収まり、ようやくスマホ撮影を開始。「震度7」の音声速報を耳にしながら4Fの窓から局舎の前を見下ろすと、すでに道路には局員の人だかりが。慌てて報道フロアに向かって駆け出したところ、抜け道の途中にある第4スタジオ(通称4スタ)の天井の照明が大きく揺れている状況を目撃。落下物に注意しながらスタジオ内を抜けて報道フロアへの扉を開けたところ、当時すでに勤続10年だった自分でも一度も経験したことがないほど緊迫した状況が目の前に広がっていました。壁のモニターの「津波6メートル」の文字を一瞬確認しつつ、自分が運用管理を担当している全国の系列局に一斉連絡するためのVoIPシステムを起動させたところ、すでに9台と繋がらないことが判明。この時点で「ネットワーク障害、もしくは停電の発生」による「人生で一番長い夜」になることを覚悟したのを覚えています。(なお、その時の状況はYouTube参照。)